木曽に根付いて45年
より地域の暮らしを
豊かにしてくために

- 木曽はとても寒い地域です。
そんな木曽の山の中でも暖かく、住みやすい家を建てたい!私たちにはそんな想いがありました。
さらに木曽と言う事を連想させられる木曽義仲。
木曽義仲のように強く逞しい家を創っていきたいという想いから「義仲・森の建築事務所」と名付けさせて頂きました。
義仲・森の建築事務所
ロゴについて

ロゴには建築事務所の名前にも入っている(木曾)義仲を象徴する二つ引き紋が入っています。
この上下の二本のラインを、家づくりにも欠かせない梁に見立て、安心安全のしっかりとした家づくりをするという決意も込めています。
自然豊かな木曽で、ご家族が暮らしを積み重ねていくあたたかな場所をつくりたい、それがわたしたちの願いです。
木曾義仲と手塚光盛
ってどんな関係?
木曾義仲は、河内源氏の一族、源義賢の次男で幼少期を木曽で過ごしその後、京都で源頼政の養子となっている。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。1180年初挙兵。1183年には倶利伽羅峠の戦いで10万の平家の軍勢を打ち負かす。同年7月には入京をし、公卿より勲功を賜り、さらに朝日将軍の称号を得る。
治承四年( 一八〇〇年)、源義仲が挙兵するとその麾下に参加し、有力な部将の一人となる。寿永二年( 一一八三年)、篠原の戦いに従軍。その際に斎藤実盛を討ち取った際の逸話は、『平家物語』において著名である。
寿永三年一月、源範頼、義経の追討軍と戦い、主君義仲と共に戦死。最後まで義仲に従った四騎の内の一人であったという。歌舞伎『源平布引滝』の『実盛物語』では手塚光盛は源行綱と瀬尾兼氏の娘の間の子どもという設定となっており、母親が源氏の白旗を片手を犠牲にして守ったことから、斎藤実盛に源氏の白旗を守った片手のために塚を立て「手塚」を苗字とし、母の形見の刀の銘にある「光盛」を名乗るが良いと言われる。

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